日本のスポーツ

written by 20111シン・ダジョン 20120チェ・ハウン 20223ハ・イェウォン


日本一のスポーツ、野球

野球は日本の国民的なスポーツです。日本の世論調査の専門機関である中央調査社の世論調査を見ると、野球は1996年から2020年まで25年連続で最高の人気スポーツとして君臨しています。また、野球選手はいつも日本の男の子たちの将来の夢1位を争って、日本の高校の80%には野球部があります。日本ではなぜこんなに野球が人気があるのでしょうか。

野球の人気にはメディアの役割も一役買いました。読売新聞社は世界最大の新聞発行部数を誇る大手新聞社で、放送局、遊園地などの事業も行っています。東京を本拠地とする「読売ジャイアンツ」も主な事業の一つです。読売新聞の影響力を基に読売ジャイアンツはかつて日本最高の人気野球チームとして位置づけられ、新聞からテレビへとメディアの主導権が移った後も、日本テレビを通じて着実にファンを増やしてきました。現在も読売ジャイアンツは2014年基準で889万人のファンを擁する最高の人気チームです。

野球の人気を日本の社会的、歴史的な特性から分析する試みもありました。アメリカのジャーナリスト、ロバート・ホワイティングは著書『菊とバット』で日本が野球が好きな理由を分析しました。ホワイティングは投手と打者が1対1で対抗するのが日本のサムライ文化と似ていると分析しました。また、データを通じた精巧な分析を重要視する野球が、記録するのが好きな日本人の性向とよく合うと主張しました。アメリカ出身の日本専門家ターガート・マーフィー筑波大学教授は、野球のプレーの過程が日本社会の組織生活のリズムと非常に似ているとも分析しました。

このように野球は日本で事実上の国技です。大リーグでは大谷翔平、ダルビッシュ有などの日本出身の野球選手が傑出した活躍を見せています。このように圧倒的な支持と強固なファームを土台に、2021年には東京オリンピックで野球部門の金メダルを手に入れたりもしました。しかし、日本でもプロ野球の人気が下落傾向だという指摘が出ています。韓国と同様に、10~20代の若い世代の関心が落ちたという調査結果が現れています。急速に変化するコンテンツを追求する時代に、日本の野球がその人気を維持できるかは日本球界の宿題として残っています。



日本水泳界のスター池江、白血病に勝って五輪出場権

池江璃花子(20)選手は水中で記録と優勝を確認し、肩まで揺らしながらすすり泣きました。流れる涙を止められないほど感情がこみ上げて、しばらくプールから出ることもできませんでした。観衆が精一杯拍手を送ると、池江はまた泣き、日本女子水泳の「看板」池江は4日、東京オリンピックの水泳競技場であるアクアティクスセンターで五輪代表選考会を兼ねて開かれた日本水泳選手権女子100mバタフライ決勝で57秒77で優勝しました。同種目の五輪出場標準記録(57秒10)に及ばず、100mバタフライでの五輪出場は実現しませんでした。代わりに400mメドレーリレーの選抜基準(57秒92)を満たし、メドレーリレーのバタフライ選手としてオリンピックに出場できることになりました。池江は試合後のインタビューで「つらくて大変でも努力は必ず報われると感じた」とし、「優勝は後で可能だと思った。 話せないほど、嬉しくて幸せだ」と話しました。

池江選手の優勝と涙は日本社会に穏やかな感動を与えています。東京オリンピックで日本を最も輝かせる女子水泳選手として期待を集めた池江は、18歳だった2019年2月、白血病の診断を受けました。病気になるまで日本では彼女の敵がいませんでした。2018年に自由形、バタフライなど5種目で日本記録を塗り替えました。2位との格差が大きく、「勝ちたくなくても勝ってしまった」という言葉が出ました。池江は2018年のジャカルタ・パレンバンアジア大会で6冠を獲得し、女性としてはアジア大会で初めてMVPに輝きました。

池江を小学校2年生から6年生まで指導した清水桂は、試合後のNHK放送のインタビューで、「昔の(池江)璃花子の泳ぎを見ているようだった」とし、「普段から弱いことを言わない強い璃花子だ。様々な思いが込められた涙だったようだ」と話しました。清水は「璃花子の水泳と活躍が病気の人をはじめ、多くの人に勇気を与えている」と付け加えました。




着実に発展する日本のスポーツ、フィギュアスケート

日本は1929年にスケート連盟を設立し、1930年から全日本フィギュアスケート選手権大会を開催して90年の歴史を持っています。また、2006年に荒川静香選手はトリノ冬季オリンピックで金メダルを取り、日本スケーター初のオリンピックチャンピオンになりました。その後、トリプルアクセルを武器に据えた浅田真央選手は、2005年から2014年までの10年近く、キム・ヨナ選手とともに女子シングルを二分し、これは日本の若者たちがフィギュアを始めるきっかけになりました。また、男子シングルでは高橋大輔選手が2010年のバンクーバー冬季オリンピックで銅メダルを獲得し、東洋人初のオリンピック男子シングルメダリストとなりました。以後、数年間オリンピック2連覇の羽生結弦選手が男子シングルの独歩的な座を獲得しました。この他にも様々な新人が引き続き輩出されています。



日本は1980年代の経済好況期にスポーツ産業の育成に大きな力を注ぎ、スケートリンクを多く建設しました。また、2006年にスポーツ法を画期的に改正し、スポーツ産業を全面的に支援しました。日本国民も自国の素晴らしい選手への関心が高く、彼らを応援するのが大好きです。笹川スポーツ財団が2020年8月から9月の間に実施した「日本国民の大好きなスポーツ選手」に関するアンケートでは、全体の2246人の回答者のうち7.8%が羽生結弦選手を、4.2%が浅田真央選手を選びました。特に結弦羽生選手は毎試合が終わると、ものすごい量のプーさんの人形をプレゼントされたりしました。このように日本ではフィギュアスケートというスポーツが非常に人気があること、そして選手のための支援を惜しまず立派な選手がたくさん輩出されていることが分かります。

Comments