新しい時代の流れ、令和 10514オ・ジュヨン


201941日、新しい元の「令和」がされました。至(こうし)、英弘(えいこう)、令和(れいわ)、万和(ばんな)、久化(きゅうか)、万保(ばんぽう)まで計6案が最終の候補になり、中西進さんの考案の「令和」が選ばれました。安倍晋三総理大臣は、「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、『令和』に決定いたしました。」と令和に関する談話を発表しました。健康と高齢を理由に、第125代天皇の明仁上皇は430日に退位になりました。新しい天皇の徳仁は令和初日の51日に即位して、第126代天皇になりました。

令和は日本の伝統的な韻文集の「万葉集」を典拠にしています。まず、「万葉集」とは7世紀後半から8世紀後半までに作られた歌集で、 計20巻で構成されています。天皇から貴族、不明な民までのいろんな種類の歌が記録されています。新元号が引用された万葉集の句は、「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」で、現代日本語で解析すると「 時は令月、空気は美しく、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。」になります。現本の「初春令月」での「令」と、「氣淑風和」での「和」が合わさって「令和」になりました。普通、令和は日本の歴史の最初に中国の古典からではなく、日本の古典を出典にした元号だとよく言われています。ですが、「初春令月、氣淑風和」が中国後漢の張衡(ちょうこう)という詩人の婦人が詠んだ「帰田賦」(きでんのぶ)の句、「仲春令月時和氣淸」を参考したという説も出てきました。つまり、新たな元号が単純に「日本古典からの出典の」元号だとばかり言えない見方もあるわけです。

日本は第1代の神武天皇から天皇制を維持して、元号は701年「大宝」から存続してきました。ですが、天皇の実質的な統治権限はないとみてもいいです。主に「平和憲法」と呼ばれる日本国憲法の第4条には、「天皇は、この憲法の定める国務のみを行ひ、政治に関する権能を有しない。」と書かれています。現代日本の元号は皇室の権威を表すよりも、公文書の年度の表記や時代の区分の基準に使っています。電算システムや実際の生活には西暦を使いますが、特に紙の公文書には元号の使用の傾向性があります。一般的に、元号は時代区分の装置として使われます。例えば、昔の人や文化などを呼ぶときに、「昭和風だ」という言葉が言われていますので、韓国の「サンパルニョンド(쌍팔년도)」とほとんど同じ意味を持っています。41日には新年号発表の瞬間をNHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビなどからライブ放送が送られて、たくさんの人が注目しました。430日には平成の最後の日を記念するためにたくさんのSNSツイッタのツイートやインスタグラムのポストが掲示されました。他にも今年51日生まれた赤ちゃんが「令和ベイビー」に呼ばれながらニュースに報道されるとか、令和の記念イベントが開催されたなど、新しい元号は日本人にとって時代の流れが変わることと認識されています。

2015年、日本宮内庁は敗戦70周年を記念して昭和天皇の降伏音声デジタルで復元しました。これは、統治権はない天皇が間接的に自分の考える平和主義を表せたことであります。天皇になる前にもよく知られたとおり、徳仁天皇は父親のように平和主義者路線をたどりそうです。新しく元号が「令和」と定められただけに、これからの日本が平和に向かってどんな歩みを見せるかが注目されています。

 

 

 

 

 

 


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